ずっと読んでみたくて、何度も借りたけど読めずに返した本を遂に買った。
『夜と霧』
有名な本だ。
京都大学の文芸評論家浜崎先生のYouTubeをみてついに読むことにした。
読んでみると案外読みやすく、もっと早く読めばよかったと思う。
こんな文章がある。
「愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という事実。」
著者は過酷な労働の中、ふっと妻がほほ笑むのをみたのだという。
そこにその人が存在しているかいないかではなく、その人という存在に救われるということ。
苦しい状況の中で精神力で愛する人を呼び戻すことで満たされることができるという。
収容所を生き抜くために内面化が重要だったという。
希望を外に見出すだけではなく、内側に見出すことが大切だったそうだ。
「人生が我々から何を期待しているか。」
「私たちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちから何を期待しているかが重要なのだ」
〈主体を私、内側ではなく、関係性の側に置く。人生の意味を私一人の意識の内側ではなく、私を支えている関係性に求めるがゆえに、他者から、誰から呼びかけられているのか、そこに意味が宿る。〉
人間は結局社会的生き物で孤独の中で生きていくことはできない。だれかとの関係性、その唯一性やかけがえのなさこそが生きるということ、生き続けていくことに対する責任を気付かせてくれるのだという。
「未来の目的を見つめさせること。」
「人生が自分を待っている、だれかが自分を待っていると、つねに思い出させることが重要だった。」
「人によっては、自分を待つものはもうひとりもいないことを思い知らなければならなかったのだ」
「不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。」
愛に支えられて、愛が最高なものだと真にやっと気づいたのにもうそれを伝えられる人には永遠に会えない。どれほどの絶望だろう。それでもフランクルはめげない。精神科医というのはその人自身に精神力がなければできない仕事だろうと思う。
「夜と霧が私たちの身辺にたちこめることは拒否できるのだということを、忘れないでいたい。」
どんな感想もこの壮絶な体験を前に薄っぺらく思えるのではないかと思う。
過酷な労働、生活環境の中でも学問に対する情熱を失うことがなかったことも生きる希望になったのではないかと思う。愛や仕事にたいするかけがえのなさは人生の意味になる。そういうものを見つけられたら人生がもっと輝くのかもしれない。